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ダイアログ・イン・ザ・ダークに行って来た。谷崎の『陰影礼賛』がどっか頭の隅にあって、暗闇の色々な「質」を味わいたいという気持ちがあった。
実際行ってみて、暗闇を純粋に味わう暇はあまりなかったように思う。
暗闇は、私にとっては、今までずっと「くらやむ」という動詞的な何かだった。永遠の不動の闇としてあるものではなかった。
ダイアログ・イン・ザ・ダークの会場は、月のない真っ暗闇夜より光の止んだ世界である。これが全盲の世界なのかという驚きはあり、その中で、いかに人との関わりが大事かということはよくわかった。
何かモノがある、誰か人がいる、触れる、聞こえる、香る、そのことが、光をもたらすということもわかる。
だけど、暗闇の本質である「光が止む」ということ、世界が消えた後にただある闇ということの中に、もっともっと、ただ居たかったと思う。
ただある闇を求めて、夜の登山がどうしようもなくしたくなる。天然のニュートラルなダークサイドを歩きたい。友よ。今度は、夜の山に登りましょう。
実際行ってみて、暗闇を純粋に味わう暇はあまりなかったように思う。
暗闇は、私にとっては、今までずっと「くらやむ」という動詞的な何かだった。永遠の不動の闇としてあるものではなかった。
ダイアログ・イン・ザ・ダークの会場は、月のない真っ暗闇夜より光の止んだ世界である。これが全盲の世界なのかという驚きはあり、その中で、いかに人との関わりが大事かということはよくわかった。
何かモノがある、誰か人がいる、触れる、聞こえる、香る、そのことが、光をもたらすということもわかる。
だけど、暗闇の本質である「光が止む」ということ、世界が消えた後にただある闇ということの中に、もっともっと、ただ居たかったと思う。
ただある闇を求めて、夜の登山がどうしようもなくしたくなる。天然のニュートラルなダークサイドを歩きたい。友よ。今度は、夜の山に登りましょう。
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