西川隆範訳 風濤社

ふとルドルフ・シュタイナーを読みたくなって読んでみた。
きっかけはいろいろ思い当たるけれど、そのひとつは、清志郎が死んでしまって、その魂とか精神はどこにいってしまうのだろう、などと思ったからだ。(それと、これまた、たまたまなのだが、昨日観た演劇『雨の夏、三十人のジュリエットが還って来た』のラストにも、清志郎の曲が流れて、演劇の回収できない何かを洗い流してしまって、それほどに「回収できない何か」の対極である精神とは何か考えさせられてしまった。)

難しい独特な語彙の嵐の中読み進んで、結構納得してしまったのは、実社会には奇妙に感情が抜け落ちていて、そういう傾向はきっと加速するだろうけれど、そういう現実もあながち無意味ではない。それに、そういう現実とは対極のものとして、芸術をはじめとする精神的(超感覚的というべきなのか)なものがある。という、どこかもうすでに知ってはいるけれど、なかなか受け入れられなかったこと。読んだ分量の割に理解できたことは少ないが、読んでいて受け入れる気になって、ちょっと大人になった気がした。もちろん気がしただけだけど。
「ぼくのすきなせんせい〜」と「おとなだろ〜?」の間。
「シュタイナー人智学」という曰く言いがたい飛躍。


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