この小説が、今話題の足利事件のえん罪を、(暗に)訴っえている本だという講義を受けたことがある。
 すなわち、ロリコン、倒錯、あるいは無垢な子供しか愛せないという性癖、もしくは単なる子供好きが、足利事件においては不当にも断罪され、えん罪の被害者を生んでしまった、と阿部和重は、この小説を通して言っているそうだ。(実際には足利事件のえん罪の犠牲者は、ロリコンですらなかったようなので、いったい何がなんだかわからないけれども。)
 普通に読んでるだけなら、決して浮かび上がってこない編み込まれた意図-糸だ。
 でも、もし本当にそうなら、見事だと思う。さすが第一線の作家の仕事だと思う(なかなか売れないようだけれど)。この作品の作者、阿部和重は、おそらく強度のロリコンである。たぶん、彼にとって、「ロリコン」は間違いなく「愛」の範疇に入るのだ。自分にとってはそうであることを語った上で、倒錯者は殺人者ではない、と小説の中で明言しているのである。
保坂和志が『小説の自由』の中で言っていたことを思い出す。ある人にとって「愛」ではなことを、別のある人は「愛」だと信じているときがある。それゆえに、言葉を媒体とする小説は難しい。しかし、一般的でない「愛」や「善」について語り、それによって一般的である「ふり」をやめるしか、自己に集中し、真実を語ることは出来ないのかもしれない。そういうことをやろうとする小説はやっぱりなんかえらいと思う。


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